主催の催事講習会 講演会

第2回 北海道の食を語る講演会と食のフォーラム

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夏の終わりの爽やかなお天気に恵まれた、8月31日の土曜日。
アンジュ・ド・フロマージュの工房が併設された「黒松内町交流型施設」に、町内外から65人のお客様が集いました。2012年の同じ季節に始まった「北海道の食を語る講演会と食のフォーラム」の第2回目が行われたのです。ゲスト講師は、前回に続いて余市町「ドメーヌ・タカヒコ」園主・曽我貴彦さんと、初講演の八雲町「小栗牧場」小栗隆さん。

この会は、アンジュ・ド・フロマージュ主宰の西村聖子さんの、この地にかける想いでできています。第2回目という事で、お客様からもゆったり愉しく学ぼうという雰囲気が伝わります。そのテーマは、「食の作り手が見据える未来」。こうした大きなことを考える時こそ、小さくて身近な場所がふさわしいものです。
黒松内町企画調整課・鈴木課長による開会ご挨拶も、「アンジュ・ド・フロマージュはチーズの製造販売にとどまらず、文化交流の面でも活発で、大変期待しています」とのことです。さて。本来はご参加の方々だけのごちそうであるこの時間。その中で、私が特にワクワクしたお話をお裾分けしましょう。

◆第一部ハイライト
1.曽我貴彦さん講演
 北海道の食関係者の間で「タカヒコさん」の呼び名で親しまれる曽我さん。信州の「小布施ワイナリーのご出身である事はご存知の方も多いはず。第二子の誕生を間近にしたお父さんでもあり、今回はコミュニティに根付いて小規模のワインづくりにこだわる意味を、語ってくれました。

◆なぜ北海道、余市町なのか。
理由の一つは、ワインは90%がブドウの品質で決まると考えている事。他にも若い醸造家たちが北海道で新規就農していることを見れば、うなずけます。中でも余市町は、高緯度の北海道の中では対馬海流の影響で比較的温暖であり、昔から果樹栽培と漁業の素地がある。

二つ目は、ワインが風土を含めた作り手のメッセージを、実に饒舌に伝える飲物である事。風土に培われた歴史ある地こそ、ワイナリーの物語が紡げる場所なのです。また曽我さんは、強風に負けないリンゴ栽培にも余市らしさを見ています。(だからシードルも作っているんですね!)

そして三つ目は、根付いているブドウ品種がユニークである事。ケルナー、ツヴァイゲルトレーベ、ミュラー、ピノノワール、バッカス、レジェンド…と挙げてみると、ピノ以外はドイツ・オーストリアといった欧州北部の品種であることがわかります。歴史の浅いケルナーなど、甘口ワインが売りやすかった日本に合う品種で余市の気候に適していたため広まった経緯があり、作付量は本国に次いで多いのでは、とのこと。最近増えているツヴァイゲルトやピノは反収がケルナー?の半分。日本のワイン用途ブドウの買い入れ価格は品種を問わず一律だから面積が少なかったのも道理です。なにしろワインになるvitis属のブドウたちは、改良された家畜と似て「人がかわいがってやっと育つ種」(曽我さん)。雨に弱いくせに雨が欲しくて寒さに敏感なブドウたちを、余市の豪雪が包み込み、自然の冬囲いとなってくれるのです。
◆「自然な」ワインづくりとは?
まず、栽培法のこと。
今年リリースのワインまでは同地区の他園のブドウを仕入れる曽我さんですが、自身の農園は4.5ha、このうちブドウ畑は2.2ha。そのすべては11系統におよぶピノノワールばかりです。圃場管理の重点は、草の根が自然に耕す(空気を入れて微生物を生かす)よう、土を柔らかく保つこと。草を一部残しながらほどよく刈って益虫を増やし、ブドウに害虫が集まらないようにすること。「自然栽培」という言葉はともすると実体があいまいになりがちですが、前述のとおり野生ではないブドウに、自然そのものではないがなるべく手を加えない、つまり環境を与えてやるため、現場では細かな観察と判断が繰り返されます。温室のような閉鎖環境でない、でも与えられた風土の中でのベストを考えるのが、曽我さんの考える栽培なのです。
(付:この「どこまでやるか問題」は、収益性にももちろん関わってきます。その点では、他の農業の方も共感されたのではないかな。)

次に、発酵の考え方。
限りなく多種の自然酵母菌を用いることで、悪い菌(菌に良い悪いはないけれど、ワインの邪魔になる菌)の異常発生を抑え、マニュアル管理では出し切れない複雑な香りと味をめざす。そうして健全なバランスがとれたワインは、亜硫酸(酸化防止剤)も必要ないほどの強さを備えている。そのためのひとつの方法として、本来雑味を防ぐために行う除梗(じょこう:房の中の枝部分)をしないで一ヶ月おきます。すると赤ワイン用タンクの中では、皮の破れたぶどうの粒と果汁が混ざり、実や梗についていた酵母が時間差で混沌としながら働くのです。

曽我さんがこうした栽培醸造法を選ぶ理由は、「自然さ」をうたうためではありません。
栽培法については、農業の持続可能性のため。そして「子孫の代まで笑顔で継げる農業」をめざすためです。決して農薬の否定ではなく、過度の使用に頼ると持続性がないだろうという考え方です。農業の本質を見直すためにあえて昔に返ったやりかたをしたい、と言います。
(付:農薬:今は昔とルールが変わり、作物ごとに認可されたものだけが使われます。また有機栽培にも専用の認可リストがあります。)

◆テロワールの本質って?
さて、ここからが本題。
テロワールの訳語は、「風土」などとされることが多いのですが、その指すところは土地、気候、人の要素を合わせたもの。加えて、その地域一帯で共通の特徴を持つものが継続して作られる事だ、と曽我さんは言います。(付:この定義であれば、外国産ブドウを日本で醸した国産ワインが当てはまらない事は自明ですね。)

ならば、継続はどうすれば可能でしょう。作り続ける事、買い続ける事、食べ飲み続ける事。同じ発酵食品ならば味噌、醤油、そして牛乳にも、おそらくテロワールと呼べるものがあるはず。欧州の原産地呼称(原料、製造法まで細かくルール化し、当てはまるものを認証し守る制度)に倣おうとする動きもあるけれど、地域に誇りを持って作り続ける、という側面が抜け落ちれば、その意味を失うでしょう。「テロワールに欠かせないのは、国を挙げて大切に誇りにすること」と曽我さんは言います。

では、ピノノワールは余市のテロワールになりうるのでしょうか?
「それはまだわからない。次の世代が継ぎ、仲間が増えて、初めてそう呼ばれるのでは」(曽我さん)。歴史の浅い土地で方向性を探れば、当然、味覚の地域性に焦点を当てる事になります。それは何か。現時点の答えは「風土に馴染んだ味」だと言います。何百年も続く農業と醸造のありかたを見つけ、北海道人が好きだと思えるワイン。そんな味を求めているのだそうです。
暑い夏の屋外でバーベキューをする時、カリフォルニアワインを飲みたくなるのは、乾いた暑い土地で生まれたギュッと濃い味がその時の体に合うから。ならば、味噌汁を飲み、ぬか漬けを美味しく食べる余市の人間が好むワインがあってもいい。そのキーになるのは、だしにも通じるうまみ、そしてみずみずしいブドウが作る繊細さ。そこを表現するワインを、曽我さんはめざしています。
(付:「うまみ」を味と捉えるのは日本独特でしたが、舌の受容細胞が発見され、料理界はじめ世界に広まり、今では外国語辞書にも記載されています。)

◆だから、小さいワイナリー
余市に根を張って暮らし、畑で日々、余市のテロワールを思い描く曽我さん。今後はどうなっていくのでしょう。
「粛々と、ワインを作る農民として暮らし、ここにいる諸先輩のように哲学をしっかり持って働きたい」。ここまで曽我さんの考えをたどっていくと、もう答えは出ています。「一軒の規模が大きくなるほど、思想が詰まったワインづくりは難しくなるでしょう」(曽我さん)。だからこそ、成立しうるできるだけ小さな規模で、家族とブドウ、そしてワインを作るのです。そこには何を作るか、どうやって売るかといった戦略的な面も欠かせない。テロワールの探求と、農家経営、そして飲み手である私たちとの関係は、ごく近い距離で一体になって動いているとも言えるのです。//

お二人目の講師は、八雲町の酪農家「小栗牧場」小栗隆さん。
平成19年度、国が選ぶ畜産大賞の経営部門最優秀賞に輝く、道南地方の放牧酪農のお手本です。
声も穏やかな第一声は「曽我さんの哲学は、僕の酪農の考え方とよく似ている。それが少し理解できた今、もう一度彼の農園に行ってみたくなりました」。
若手の思いをしっかり受けとめ、ご自分を重ねて語られるところはベテランの貫禄です。

2. 小栗隆さん講演
 小栗さんと奥さんの美恵子さんは、黒松内町からひとつおいた隣町、八雲町の酪農家。
乳牛牧場の跡継ぎとして放牧酪農に転換して以来、60ha60頭ほど(育成中の仔牛を含む)の経営を成功させています。その一端としてチーズづくりに励んでおられる美恵子さんも、今日は客席から笑顔で見守っています。

 昭和48年に帯広畜産大学を卒業後、実家に戻って40年。小栗家のルーツは岐阜県可児市で、お祖父さまが開拓初代。ばれいしょ(農家は作物としてのジャガイモをこう呼びます)の種イモなど畑作も含めた牛飼いでしたが、当時の酪農界はスケールメリット論が全盛で、「たくさん飼って増産したい」というのは誰しもの夢。小栗さんも希望に燃え、4500万円の借入で新居と牛舎を建て、それまで保母をしていた美恵子さんをお嫁に迎えたのでした。

◆たくさん絞る事しか頭になかった
増産、返済、それが家族の幸せになる。小栗さんはそう信じて働きに働きます。
ところが、転機は思わぬところから始まりました。
「第四胃変位」。
 牛の第四胃に現れるいわば乳牛のメタボ症状のひとつで、当時多かった障害。外科的手術を要します。獣医さんからは「年に6頭切ったら後志管内の新記録」と言われ、朝の牛舎で前触れもなく牛が死んでいるのを見て、不安は膨らみます。
当時の常識とはいえ、牛舎につないだ牛に輸入餌、特にハイカロリーの穀物をたくさん与え、一頭から一万kg絞るのが目標、というやり方は正しいのか。酪農家の出ではない美恵子さんの「これが本当の酪農なの?」という言葉に、自分は道を外れているのか、と疑問を抱いたと言います。

 そんな時、美恵子さんから渡されたのが、「浜中町新規就農者交流会」の発言記録集。浜中町は放牧酪農の先駆でした。仕事仲間の獣医師や農協マンと購読会を行い、見学に訪れた浜中の酪農家の暮らしは、自分たちとは全く違いました。ゆったりとお客を出迎え、初対面の自分たちのために食事を供し、酪農経営の要である奥さんたちはみな笑顔で、手づくりのパンやチーズをふるまってくれる。
 自分はどうだ。毎晩10時の「ニュースステーション」を見ながらやっと夕食がとれる長時間労働で、牛の病気に悩み、お客を招く余裕もない…。なんでこんなに違うんだ!

この交流が、小栗さんに「放牧酪農なら暮らしが変わる」と確信させました。
「マイペース酪農」(※大規模化に走らず、中規模放牧酪農で豊かな暮らしを実践する考え方。著書もおすすめです)の提唱者・三友牧場の存在を知り、夫婦単位で学ぶその考え方にカルチャーショックを受け、昭和59年に放牧に転換をスタートしたのです。
「外に出た牛は、つないだ牛とまるきり違って見える。舎飼い(しゃがい)の頃は乳の出方で判別していたのに、今は性格まで感じるようになった」。
放牧に欠かせない電気牧柵(ビリッとくるのがわかると牛たちは柵にふれなくなり、逃げる心配が減ります)も試行錯誤で、電気に強い牛がいる(!)ことも知りました。

◆転換を乗り越え、タフな酪農へ
 今、小栗さんの牛たちは夏は24時間外で過ごします。餌は草地の土壌改良を行い、飼料は草と乾草が主体。牛がしっかり食べてくれるよう、土壌改良からやりなおしました。今、放牧地に入れるのは、牛の堆肥の切り返し肥料のみです。土中の窒素過多を防ぐため、刈り残した葦の茂み。そこに、元気な母牛が自力で仔を産み落とすこともしばしばです。(改良品種であるホルスタインは通常、お産の介助を必要とします)刈った草しか知らない牛に、まず地面の草を食べさせることから。そのために化学肥料をやめ、ミミズのいる土に戻し、放牧に向くおいしい草を育てました。
 転換にかかった年月を、小栗さんは「草も、牛も、土も、すべてがなじむための時間だった」と振り返ります。放牧酪農は、牛にできることは牛にやってもらうのが基本。その分、人間は土や草の手入れに励み、少しのゆとりを手に入れて、牛との暮らしを楽しむことができるのです。美恵子さんのチーズもそうした暮らしから生まれ、チーズ製造者同士の仲間ができ、今では乳の味と質のすばらしさを食べ手に伝える役割を担っています。

【セッションでの気づき】
曽我さんと小栗さんのお話は、自然に寄り添う農業の素晴らしさ、という一面だけでも十分魅力的です。雑誌記事などでは商品の魅力を伝えるため、そうした話に終止するものも多く見えますし、私自身もそうした記事を書きます。
ただしその理想を支えるのは、両輪のもう一方、つまり農業経営。この一面を抜きにして食べものを捉えるのは、いかにも不自然です。大規模なマーケティングとは少し違う、同じ地に住む作り手と食べ手のつきあいを考えるなら、もう一歩踏み込んだ理解があってもいいはずです。
事業の転換期というのは、どんな業界でも経営者にとり最も苦しい峠になるものですが、小栗さんにも転換三年目がヤマでした。乳量は以前より減り、支払いは残っている。先達から「放牧地には札束が転がっていると思え」というアドバイスを受けたというのも、例えでなく現実的な話。輸入飼料や化成肥料の高騰は、すべて経営に直接関わるのです。そうした工夫は、牛だけでなく人にもやさしい。そして「良いものづくりが長く続く」ためには、経営的成功が条件。
曽我さんのワインは、価格は安くないけれど、曽我さんでなくてはという個性を打ち出して、本州の優秀な先発ブランドたちに負けない人気を得ています。それが「小さなワイナリー」という手法の強みなのです。
お二人の例でわかるとおり、農業は経営者とものづくりの両方を兼ね備えた、複合的センスの問われる職業です。サスティナブル(持続性)という言葉は、環境の循環性だけでなく、作ること、食べることもその中で長く続いてゆける、という意味合いを持っています。

【終わりに】
アンジュ・ド・フロマージュをはじめ、曽我貴彦さんや小栗隆さんのような作り手は、食べ手と互いに知り合いたいと思っています。今回のような小さな地元の交流に時間を惜しまないことが、その表れです。ひいては作り手も食べ手もともに、地域の食卓と暮らしを心豊かに育てたい。このメッセージを受け取った聴衆のみなさんは、これからどんな食べ方をしてゆくのでしょう。会場では、地域の野菜や鮮魚、そして小栗さんの夏草を食んだ乳の、少し色の濃いチーズ、曽我さんのもう入手できないワインたちが供されました。すべてが北海道の恵みで、しかも製法や料理法で最大限においしく生かされています。
宴を楽しむ人たちの心に、見えない小さな種が播かれた、そう思える集いでした。
来年は、曽我さんの自園ブドウの初リリースも、きっとこの地でお披露目されることでしょう。//
(文責:深江園子)